2019-05-29 第198回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号
また、生涯学習の重要性、水戸に弘道館、当時日本最大の藩校でしたが、入学年度は十五歳、卒業年度はありません。そういうことを考えると、学ぶことは一生、生涯だという、これが最大の健康、物心両面という言葉もあるように、物も心も豊かな日本人を育てるというのが私は大変重要だと思いますけれども、こういう考え方について大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
また、生涯学習の重要性、水戸に弘道館、当時日本最大の藩校でしたが、入学年度は十五歳、卒業年度はありません。そういうことを考えると、学ぶことは一生、生涯だという、これが最大の健康、物心両面という言葉もあるように、物も心も豊かな日本人を育てるというのが私は大変重要だと思いますけれども、こういう考え方について大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
水戸藩の九代藩主でありました徳川斉昭公、偕楽園、弘道館をつくられた人ですが、最も好んで使った言葉、備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。
水戸藩の九代藩主の徳川斉昭公、偕楽園や弘道館を造られた方ですが、最も好んで使った言葉は、備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。まさに、どんな状況に遭遇しても柔軟な対応ができる、資質を高める、魅力を高めていく。備えをするというのはとても大事なことだろうと、私はそう思っていますので、是非お願いをしたいと思っています。 今回の震災で多くの方々が住むところを失いました。
さらに、茨城県の特別史跡で重要文化財の旧弘道館におきまして、学生警鐘と言われる建物が、これは全壊をした、また弘道館の壁しっくいの落下などが認められております。 このほかにも、都内でも幾つかの名勝あるいは史跡について被害が生じているという報告を受けております。
先ほど藩校のお話がございましたが、私も、前身が弘道館という藩校でございました。その弘道館では、佐賀藩でございますけど、どういう教育をしていたかというと、先人の様々な偉業を教えていました。例えば、名古屋城それから熊本城を築城した成富兵庫茂安という治水の神様と言われる人がいます。
私は教育基本法案の中の質疑でも先日発言をさせていただきまして、私は水戸ですが、水戸には弘道館という藩校があります。当時日本最大の藩校。ここで学んだ人たちが、萩の吉田松陰、松下村塾つくりました。あるいは薩摩の西郷隆盛、加治屋町で郷中教育というのを始めました。
それで、それを学校の総合学習の方へ取り入れたりということで、山口県の萩市なんかにもちょっと松陰の読本があるということで取り寄せたり、あるいは岡山の閑谷学校とか水戸の弘道館とか、そういうようなところをたくさん見て回ったんですが、さあ果たしてやろう、これはできるぞと思ったら、学校の先生方がそういうことに全く興味がないんです。
私は水戸ですから、水戸には弘道館というのがあります。弘道館で水戸学を学んだ最後の将軍慶喜公もそうです。この弘道館をつくった斉昭公が最も好んだ言葉は、芸に遊ぶという、これは生涯学習、そしてもう一つは備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。どんな状況に遭遇しても柔軟な対応ができる、そういう資質、それを備えていくという。
先ほど弘道館の話しましたけど、弘道館の入学年度は十五歳です。卒業年度はありません。これは生涯学習のはしりかなと、私はそうとらえていますけれども、ここで学んだ最後の将軍慶喜公は、将軍を辞めてから、謹慎が解かれて静岡に移ったその後の生活は、猟をやったり、カメラやったり、宝生流の謡曲をやったり、あるいは釣りをやったり、手裏剣も名人だったそうです。
それからもう一つは、弘道館という、これはもともとの水戸城、これは水戸藩士というのは、ずっと在府、江戸におりましたけれども、弘道館は水戸城の敷地内にある。そこをやはり結ぶような、歴史的な回遊性を持たせて、そこに何か商店街とかそういったものをつくる、そういう形だったら、まずほかの町ではやはりこれはまねすることができないわけです。
正に、天災は忘れたころにやってくるという言葉がありますけれども、水戸の弘道館や偕楽園を造った徳川斉昭公、七百年近く続いた武家政治に最後のカーテンを引いた人は徳川慶喜公であります。その慶喜公のお父様でありますけれども、この斉昭公が最も好んで使った言葉は備えあれば憂いなしという言葉でありました。
要するに、これは学校も公共投資の中に入っているわけでございますから、昔は、明治には地方の藩がいろいろあった、そこにたくさん偉い人がいた、そこに弘道館とかいろいろな藩の師弟を育てる組織があった。
実際、これは天皇陛下御自身のお誓いになった言葉なんで、天皇陛下御自身が御自分を「千代に八千代に」なんということはおっしゃらないわけでして、ではそれはどういうふうにつながっていくのかというところが、これがその少し前、幕末のいわば明治維新の精神的な支えになった思想の一つなんですが、弘道館記述義といういわゆる後期水戸学の主著がございます。
大河ドラマで登場する水戸藩主徳川斉昭は、日本一の藩校弘道館を開校しました。その弘道館において吉田松陰が尊敬しました会沢正志斎総裁のもとで、徳川慶喜は先見性、実践性、国家的視野を重視する水戸学の真髄を学んだのであります。 今、第三の国難の時代と言われておりますが、総理、進むも引くもあなた御自身の選択であります。
それは昨年の六月でしたか、水戸の弘道館において救国懇談会というものが発足しまして、これからだんだん動いて参りました。これも戦前と違います。戦前は大体右翼の人はみんな一城のあるじでありまして、横の融合というものはあまり見られなかつたのでありますが、このたびはそういう統一的傾向があります。
今年の六月十三日に、水戸の弘道館で、橘孝三郎、本間憲一郎が中心になつて、救国懇談会を開いて、これに戦前の右翼が担当集まつておるのでありますが、その後、各地方でそういう動きがありまして、現在のところ、最近のそういう動きとしては、九月二十二日に大阪の中ノ島公会堂で救国運動全国協議会準備会というものが持たれております。準備会自体には約百六十名ほど集まつております。